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藤原景清に関する伝説

平家のヒーロー 「藤原(平)景清」

平家伝説平家に仕えて戦い「悪七兵衛」の異名を持つほど大男で勇猛であった。
平安末期の治承・寿永の乱(源平合戦)で活躍。
「悪七兵衛」の「悪」は悪人という意味ではなく、「悪党」と同様に勇猛さを指すものとされるが.壇ノ浦の敗戦後に自分を匿った叔父の大日房能忍を疑心暗鬼にかられて殺害してしまったためにそう呼ばれるようになったとの伝承があります。
ただし近年は能忍の死因は病死または事故死とする説が有力。実在したとはいえ生涯に謎の多い人物で,各地に様々な伝説が残されています。

1 藤原(平)景清の伝説地 「首なし地蔵」 隣町の安芸津町

平家伝説平家の武将、藤原景清が武運を占うために、石地蔵を刀で試し切りし、地蔵の首切り落としたと言い伝えられ、首なし地蔵と呼ばれています。
文治2年景清は真言宗の僧瑞雨を招いて法泉寺を建立し,そして武運を祈るため「亀山神社」を建立しました。
また,この峠には,道標,四日市街道,浦辺街道など古い歴史しのばぜる史跡が多くあります。
 

藤原景清伝説マップ

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